百“見”より一“聞”?
金曜夜の話です。帰宅すると二人の子供がお待ちかねで、大喜びで玄関まで来てくれました。上の子はダッシュで、下の子は高速ハイハイで。二人ともお風呂上りのパジャマ姿で、まもなく寝ようというときでした。すると、
- 『○○ちゃん、お父さんのごはん準備してんでー』
と長女。食卓を見ると、茶碗と箸とビールコップがきちんと並べてありました。
家内が子供たちを寝かせつけたあと、寝室から出てきてその日のことを話してくれました。上の子は夕食が終わると、黙って食器棚へ歩いて行ってゴソゴソとしていたそうです。何してるの?と家内が尋ねると
- 『おとうさんのご飯!』
と言って、茶碗、箸、コップと取り出して食卓に並べてくれたそうです。
その場に私がいたなら笑顔で見ていたんだろうと思いますが、家内の口から聞く事でかえって心にグッときました。小さい手で全部は持てないので、茶碗、箸、コップときっと2〜3往復したんではないでしょうか。百聞は一見に、、、といいますが、“聞”のほうが心に響くことがあるんだなと感じました。